ベトナム旅行 ミーソン遺跡
ミーソン遺跡にいくのに、畑やたんぼの畦道を行きます
雨が降っているからでこぼこ水たまりをよけるのに運転手が苦労していました
かなりのどしゃぶりで、車を降りてからも大変な目にあう・・・・・
とりあえずトイレにいったあと、また民族舞踊を見ることに。
あきてしまって写真をとることもせず、餌をねだる野良犬をみていました
とにかくベトナム中部では犬が多いですね。猫は2匹くらいしか遭遇しなかった
ミーソン遺跡はかってこの周辺に栄えたチャンバ王国の聖地です
入り口から、この遺跡にたどり着くのに30分以上歩かないといけません
ティエンはいつもどおり後ろを一切振り向くことなく
ハイスピードでどんどん行ってしまいます
こりゃあ、ばっくれてもわかんないんじゃないの?どうする?と
靴の中までびしょびしょになった私たちが悪態をつく・・・・・
ミーソンはベトナム戦争でアメリカ軍の爆撃にあい破壊されました
修復も進まず、もっともっと広大な遺跡の全容もわかっていません
しかしこんな山の中の奥地まで爆撃するとは・・・・・・・
この聖地は子孫繁栄目的ということで男根・女陰信仰モチーフが多彩
支配者の宗教が変わることで顔を削られたり破壊されたりしてきました
私の前世で古代王国の後宮にいたときに、使節に来た他国の王族と浮気してしまい
男の子ができてしまったのですが、王様は罰を与えることなく
貴賓として私たちを取り扱いだし、まるで針の筵状態・・・・・
私のしたことをののしって殺してくれたほうがとても楽だったのに
気が狂いそうな何十年を息子を守るために生きてきた
やがて息子が成人し、自分の本当の国にいって一旗あげたいという流れになって
息子とともに船で旅立ち、ああ・・・やっと楽になれた
もう私は必要ないと船から身を投げて苦しかった生涯を閉じましたが・・・・・
私を優遇して長い間苦しめた王への逆恨みがありまして
ここにきてやっと王の真意を知ることに。
正妻との間に後継ぎができなかったわけだ
私の息子が実の息子だったらよかったのにという思いがあって
私たちを手放せなかったわけだ
私の魂の中のひとつのわだかまりが溶けてよかった
ところで前に魏志倭人伝で日本人が奴隷として海を渡っていたことを書きましたが
種子島の鉄砲伝来から、各地で天下を取るためにこの新兵器を得るため
大変なことがおこりました
日本製の火縄銃の改良が盛んとなりましたが火薬は日本になかったのです
そのため火薬1樽を若い女性50人と交換され
何万という日本女性がポルトガルを拠点に西欧諸国やインドにまで
奴隷として売られていきました
従順で働き者の日本女性はとても人気があり、性産業から家事労働まで
幅広い需要が生まれてしまったのです
主に九州において大規模に売買されており、
これを知った豊臣秀吉は日本から女性がいなくなるという大きな危惧と
大変な不快を感じ、1587年の7月24日にイエズス会に
日本人を奴隷にすることを中止するように要請し返還を求めました
そしてバテレン禁止令が出されてポルトガル国王セバスティアン1世は
日本のカトリック教会への改宗に悪影響がでることを懸念して
1571年に日本人の奴隷交易を中止にさせました
この出来事から日本はキリスト弾圧、そして鎖国へと進んでいったのです
この裏には日本国内で火薬が生産できるようになったことも大きいですが。
日本は貿易を通じて西欧諸国が世界中で
キリスト教の布教を隠れ蓑に強奪、殺戮、奴隷化をやってること
植民地支配を常に目論んでいることを知っていました
そこで鎖国をしていても清やオランダとは貿易を続け情報収集と
海外と対抗するための武装や知識人の育成に力を入れていました
アヘン戦争で清がイギリスに負けたことは日本にとって激震でした
イギリス海軍は九州に攻め入り、長州藩は敗北してしまいましたが
薩摩藩は勝利をおさめました
その時にイギリス海軍は錨を切って逃亡するという恥辱を味わい
薩摩藩は錨を引き上げて返還してあげるという追い打ちまでかけました
そして突然のペリーの黒船来訪は突然すぎて日本を慌てさせます
アメリカは捕鯨の拠点にするために日本植民地化をもくろんでいましたが
幕府はいままで準備してきたので海外に精通する学者を交渉にあてました
開国はやむなしとしましたが日本に不利な貿易に関する条約は突っぱね
アメリカと親和条約を結びました
この一連の日本の動きから海外では日本の植民地化はかなり難しいとされます
開国してからも、アジアのいたるところが西欧の植民地にされていきます
そしてこのことは一介の武士や町民の耳にも入ることになったでしょう
特に大陸と接する九州勢の危機感が高まり
幕府に対する明治維新というクーデターが勃発し、日本は軍国主義に進んでいきます
しかし何万と輸出された日本人女性達はどうなったのでしょう
いろんな大陸に彼女たちの子孫がいると思うと感慨深いものがあります
祖国に帰りたいという祖先の思いを無意識に感じて日本に来る人もいるのかな~
私は一昨日あたりにこのことを知りまして
トルコやモロッコなどのイスラム圏や、一昨年ポルトガルにも行ったし
去年はペルーでしょ?メキシコや韓国、ベトナムと
いろんな国を旅してきて・・・・・・
日々食べて寝てぼけ~~としている私という名もない一市民が
外国をいろいろ旅してきてよかったことはこれですよ!!と言えます
世界的目線、地球意識、宇宙目線が持てる・・・視野が広がること?
昔の人たちが想像を絶する苦難の果てにたどり着いた最先端に
私たちは今、立っているんですね!!
ポルトガルが日本を征服しようと思わなかったのは
農民や女性など民族の末端まで読み書きができるという驚異
(まあ・・・どうなんでしょ?地方の田舎だったらこうはいかなかった?)
日本人の民度の高さが、あなどれなかったかららしい
そう思うと私もぼさ~~と海外の町中を歩いているわけにはいかないのか?
いつもぼったくられておたおたしているわけにはいかないのか?
英語わからなくておどおどしている場合ではないのか?
遺跡に落とされたアメリカの爆弾も一緒に展示されています
それから爆弾で吹き飛ばされた大きな地面の穴とか・・・・・
ベトナム人として忘れてはいけない歴史的出来事と古代遺跡のコラボ
歴史という史実の前には時間が存在しないのですね
周りを取り囲む世界情勢には時間が存在するので
いつまでも過去のことを持ち出して関係を悪化させるよりも
より良き未来を目指して民度を上げ、国を発展させていくことが重要です
この間、私が行ったところを巡っているのをニュースで見て面白いです
宮廷舞踊鑑賞で2匹の獅子舞から、巧みに隠れていた子獅子が
転がり出て生まれるところが特に。
そんなところしか見ていない私・・・・・・・・・・