エーゲ海クルーズ ロードスの考古学博物館
ここにはエーゲ海の島々から出土した貴重な陶器や彫像などが展示されています
ロードス島ですが、ペルシアやローマなど支配者が変わっても
貿易の中継港としていつも潤っていたそう。
しかしローマ時代にローマの反感をかって、貿易の特権はデロス島に移されてしまいました
昔は37mのヘリオスの像があって、股間を船が通るようになっていたみたい
見上げるとあれが・・・・・・・・。
ちなみにギリシアでは性器が小さいことが美徳とされて、大きいと精子の移動が
長くて冷やすので生殖に劣ると言われました
だから彫像もたくましい体にちんまりついています
片膝をついたロドスのアフロディーテが有名ですが
小さい像ですね
ギリシア、ローマ時代と奴隷は欠かせないものでしたが
スパルタのように人口の10倍の奴隷を抱えて、彼らを押さえつけるために
男子を60年も軍隊に縛り付けたり、女子も裸で鍛え上げたりするのはどうかと思いますが。
中流以上の市民は2~3人の奴隷を所有していて、大体は奴隷商人から買っていたそう
奴隷貿易はかなり発展していて、トラキア人やスキタイ人が狙われていたけれど
旅などをしているとプラトンやカエサルさえ奴隷になりかけています
戦争捕虜については外国に売り飛ばして自分たちではつかわなかったんだって。
また女性に対して「肉体の悦びは娼婦が、身の回りの世話は妾が、子供を産み家を守ってくれるのには妻がいる」「ご婦人というものはなるべく少なく見て少なく聞いて
少なく問うのが理想的」とされ、教育もなく家にひきこもるのが美徳とされ、
結婚の時は持参金を用意しなければならなかっためか、女子の捨て子が多くて
拾った者は奴隷にできたそう
だけど奴隷がいないと生活が成り立たないので、長年一緒に生活した奴隷に対しては
情をもったり、頭があがらなくなったり、気をつかうこともあったみたい
だからアテネの奴隷は横柄だという評判でした
アリストテレスは「奴隷は奴隷となるべく生まれた者。自由人には知性があるが奴隷にはない。奴隷とは魂のある道具。体を使って仕事をするしかない能力のない人間は奴隷」とひどいことを言いながら、自分の遺言では奴隷に財産をやって開放するように書いていたそうな。
そんなわけで、よい主人に恵まれると教育なども受けられて自由になったり偉い人になっちゃったり・・・・・
ちなみにアリストテレスはプラトンが亡くなると、マケドニア王国のフィリッポ2世に招かれてアレキサンダー大王の家庭教師になった人です
プラトンはというと本名はアリストクレスでしたが、元々はレスリング選手で
肩幅(もしくは額・・・)が広いという意味がプラトンで、あだ名で呼ばれるようになったそう
悲劇作家を目指していた時にソクラテスに出会い9年間学びました
そのころアテネは思い上がっていて周りのポリスに対して戦争をしかけたり
権力争いに興じ周りの国々を巻き込んでいたため、スパルタに海上封鎖されて
飢えたためにやっと降伏します
スパルタは30人の代表者を選んで政治をまかせますが、この人たちがあまりにひどくて1400人を処刑し財産を奪ったりしたので1年しか持ちませんでした
この30人にソクラテスの弟子がいたらしく逆恨みした市民によって、問答をふっかけただけで裁判にかけられてしまいました。ほんとはたいした罪ではありませんでしたが、ソクラテスがあまりに尊大で反省がなかったため、死刑にされてしまいました
プラトンは師を失った失意で10年間放浪し、偉い人の反感を買って奴隷として売られると、友人が買ってくれて奴隷になるのをまぬがれました。
その友人に他の友人たちがお金を渡そうとすると受け取らず
それでアカメデイア学園が創られました
そしてプラトンはソクラテスとの対話方式で本を書いたため、ソクラテスの名前が現代まで残ることになりました
また彼の晩年の作でアトランティス伝説が知られるようになりました
この丸い石は投石とか大砲の玉なんだって。