お花見
4月の天気が悪かった日に、お花見に行ってきました
友達の友人であるお蕎麦屋さんでランチ。
セリのおひたしや天ぷらをサービスしてもらいおいしかったです
私は鴨汁そばで、奥がセリそばです
自家製ヨーグルトでわかるとおり健康オタクで、友達と酵素の作り方で
盛り上がっておりました
お花見の場所は埼玉の権現堂公園で、さくら祭りの最終日
天気が悪いけれど結構な人並みでした
桜と菜の花のコラボが美しいところです
雨はだんだんやんできて、そのうち青空がでてきました
入り口を間違えるとキューピーマヨネーズ工場の桜並木にいってしまうので
注意してくださいね
「菜の花うまそ~~、食べるには育ちすぎだね~~」
まあ・・・やっぱり花よりだんごですな。
屋台がたくさんあって目移りしちゃう!!
そんなわけでお店に腰をすえて食べながら桜を鑑賞です
さつまいもスティック、チーズ揚げ、おでんや牛たん串、アユの塩焼き、ラムネ
おいしかったな~~~
桜も薄ピンクから桃色、白までいろいろあります
しかし、こんな天気でぬかるみの中
桜の下に場所取りをして飲んでいる人たちや、仲間を待っている人たちがいました
オーソドックスなブルーシートの人たちは
木の上から落ちてくる水滴に苦労していましたが・・・・・
ハイテクな人たちはキャンプのようにテントを張ってテーブルで飲んでたり
ビニールハウスみたいな中で飲んでいたり、見ていておもしろかったです
そして権現堂にはヤギさんがいるんですよ~~~
毛色も違って、かわいいですね~~~
桜が終わっても楽しめそうです
新潟で雪堪能
先月に行った新潟日帰り旅行です
いつものコースだけど。
越後ゆきくら館ではバスが埋まるほどの雪が積もっていました
雪をこんもり乗せた地下室の雪室貯蔵庫にはお酒が保管されています
酒造の中を見学していろいろ試飲させてもらいましたが
おじさんおばさんをかきわけ大変でした
ここで買ったショウガのリキュールがまだ冷蔵庫にあるよ~~
また酒粕を買ってしまいました
鮭の頭の粕汁がおいしいけれど、年に1回作るかどうか・・・・・
友達は普通に毎日のお味噌汁にいれていると言ってました
でも最近は優秀なインスタントばかりだから需要がないなあ~~
ランチは鯉がいっぱいいるいつものレストハウス越後です
ウニ、いくら板のせ一人船盛
甘エビが大きくておいしかったです
たらばとホタテ陶板焼きもついています
牡蠣と鱈鍋もおいしかったな~~~
川端康成さんが雪国を執筆した宿、高半で源泉かけながしの温泉に入ります
しかしおばさんたちで混んでいるので時間をずらすことにして
文豪が泊まっていたお部屋と資料館を見学しました
文豪には粋な女性がつきものだわね~~
時間つぶしに暖炉の前でしゃべっていたけれど、白人さんらがうろうろしていて
こんなところまで泊まりにくるのかと思いました
いちご狩り
スカイベリーとかとちおとめとか8種類以上のいろいろイチゴ30分食べ放題
2000円だった気がします
スカイベリーは8個で800円とかするから元はとれました
熟れ過ぎよりは、オレンジ色のほうがおいしいですね~
獲られて、次に赤くなるまで数日かかるので電話予約したほうがいいそうです
ランチはお寿司です。
おしゃれなお皿盛りでーす
おいしかった!!
それからいちごの里にお茶をしに行きました
ここでもワッフルでイチゴ満喫
帰りに土手で菜の花摘みをしました
最初わからなかったんだけど、これくらい小さいのがおいしいんだね
菜の花もあるだろうけれど、農家さんが間引きした小松菜とか
いろいろ野菜の若葉な気もする・・・・・
これくらい大きくなると食べられません
炒めて食べたけれどおいしかったです。
ベトナム終わり
どしゃぶりの雨でびしょびしょになりながらホイアンに戻ってきました
運転手とティエンの思惑が一致せず何やら言い合っている
レストランに行くはずが町中に戻ってきてしまったらしい
レストランからホイアンまで2キロと言ってたからね
パパイヤと砕いたピーナッツのサラダ えびせんに乗せて食べます
うどんにピーナッツとか食感が変わって香ばしい
こういうおいしい食べ方は、日本に帰ってもしないな~~
たぶん醤油とか出汁に合わないからかも・・・・・
サラダにも入れないし、ピーナッツに味がついているからか?
ベトナムではもやしを生で食べるけれどそれも日本ではしない
ちょっと乾き気味の生春巻き
ベトナムには本当は生春巻きというものはないと本に書いてあった
水物危ないと言って氷さえ抜くのに、生春巻きは盲点ですね・・・・・
いろいろでてきた
いつものスープと豚肉の炒め物、それからトマトソースのお魚
いつものメンマと豚肉の炒め物
それからいつもの締めはフルーツなんだけど、初めてっ!!!
パイナップルのパンケーキがでた----!!!!!
おいしかったけど、日本ではやらないな・・・。
陽も落ちたのでランタンを見にホイアンの街へ戻ります
そして案の定、街の中には入れないのであった
ていうか~~ チケットは一日券じゃあないの?
ここでティエンがショーが始まると告げてどっかへ行ってしまう
ほどなくしてプロジェクトマッピングがスタート
やはりあまりにしょぼいので、お買い物に繰り出す
だがたいしたお店がやってなくて何も買えず
ティエンはプロジェクトマッピングにくぎ付けになっていたらしく
私たちが見なかったと言うとと信じられないという顔をしていた
やはりおまえはあれを見たかったんだな
われらはランタンキラキラが見たかったというのに。
ベトナムで買ったもの
(たぶんこれで6千円位しか使っていない)
ビーズバック ランタン1個2ドル
宮廷茶とお菓子とマンゴーシート
こんだけ~~~~ 戦利品が少なすぎる~~~
お菓子類とランタン1個は友達にあげた
マンゴーシートは冷凍してバリバリ食べたと友達が言っていた
は~~い
これでティエンとの思い出いろいろ話が終わりとなりま~~~す
ご清見 ありがとうございま~~~す
ベトナム旅行 ミーソン遺跡
ミーソン遺跡にいくのに、畑やたんぼの畦道を行きます
雨が降っているからでこぼこ水たまりをよけるのに運転手が苦労していました
かなりのどしゃぶりで、車を降りてからも大変な目にあう・・・・・
とりあえずトイレにいったあと、また民族舞踊を見ることに。
あきてしまって写真をとることもせず、餌をねだる野良犬をみていました
とにかくベトナム中部では犬が多いですね。猫は2匹くらいしか遭遇しなかった
ミーソン遺跡はかってこの周辺に栄えたチャンバ王国の聖地です
入り口から、この遺跡にたどり着くのに30分以上歩かないといけません
ティエンはいつもどおり後ろを一切振り向くことなく
ハイスピードでどんどん行ってしまいます
こりゃあ、ばっくれてもわかんないんじゃないの?どうする?と
靴の中までびしょびしょになった私たちが悪態をつく・・・・・
ミーソンはベトナム戦争でアメリカ軍の爆撃にあい破壊されました
修復も進まず、もっともっと広大な遺跡の全容もわかっていません
しかしこんな山の中の奥地まで爆撃するとは・・・・・・・
この聖地は子孫繁栄目的ということで男根・女陰信仰モチーフが多彩
支配者の宗教が変わることで顔を削られたり破壊されたりしてきました
私の前世で古代王国の後宮にいたときに、使節に来た他国の王族と浮気してしまい
男の子ができてしまったのですが、王様は罰を与えることなく
貴賓として私たちを取り扱いだし、まるで針の筵状態・・・・・
私のしたことをののしって殺してくれたほうがとても楽だったのに
気が狂いそうな何十年を息子を守るために生きてきた
やがて息子が成人し、自分の本当の国にいって一旗あげたいという流れになって
息子とともに船で旅立ち、ああ・・・やっと楽になれた
もう私は必要ないと船から身を投げて苦しかった生涯を閉じましたが・・・・・
私を優遇して長い間苦しめた王への逆恨みがありまして
ここにきてやっと王の真意を知ることに。
正妻との間に後継ぎができなかったわけだ
私の息子が実の息子だったらよかったのにという思いがあって
私たちを手放せなかったわけだ
私の魂の中のひとつのわだかまりが溶けてよかった
ところで前に魏志倭人伝で日本人が奴隷として海を渡っていたことを書きましたが
種子島の鉄砲伝来から、各地で天下を取るためにこの新兵器を得るため
大変なことがおこりました
日本製の火縄銃の改良が盛んとなりましたが火薬は日本になかったのです
そのため火薬1樽を若い女性50人と交換され
何万という日本女性がポルトガルを拠点に西欧諸国やインドにまで
奴隷として売られていきました
従順で働き者の日本女性はとても人気があり、性産業から家事労働まで
幅広い需要が生まれてしまったのです
主に九州において大規模に売買されており、
これを知った豊臣秀吉は日本から女性がいなくなるという大きな危惧と
大変な不快を感じ、1587年の7月24日にイエズス会に
日本人を奴隷にすることを中止するように要請し返還を求めました
そしてバテレン禁止令が出されてポルトガル国王セバスティアン1世は
日本のカトリック教会への改宗に悪影響がでることを懸念して
1571年に日本人の奴隷交易を中止にさせました
この出来事から日本はキリスト弾圧、そして鎖国へと進んでいったのです
この裏には日本国内で火薬が生産できるようになったことも大きいですが。
日本は貿易を通じて西欧諸国が世界中で
キリスト教の布教を隠れ蓑に強奪、殺戮、奴隷化をやってること
植民地支配を常に目論んでいることを知っていました
そこで鎖国をしていても清やオランダとは貿易を続け情報収集と
海外と対抗するための武装や知識人の育成に力を入れていました
アヘン戦争で清がイギリスに負けたことは日本にとって激震でした
イギリス海軍は九州に攻め入り、長州藩は敗北してしまいましたが
薩摩藩は勝利をおさめました
その時にイギリス海軍は錨を切って逃亡するという恥辱を味わい
薩摩藩は錨を引き上げて返還してあげるという追い打ちまでかけました
そして突然のペリーの黒船来訪は突然すぎて日本を慌てさせます
アメリカは捕鯨の拠点にするために日本植民地化をもくろんでいましたが
幕府はいままで準備してきたので海外に精通する学者を交渉にあてました
開国はやむなしとしましたが日本に不利な貿易に関する条約は突っぱね
アメリカと親和条約を結びました
この一連の日本の動きから海外では日本の植民地化はかなり難しいとされます
開国してからも、アジアのいたるところが西欧の植民地にされていきます
そしてこのことは一介の武士や町民の耳にも入ることになったでしょう
特に大陸と接する九州勢の危機感が高まり
幕府に対する明治維新というクーデターが勃発し、日本は軍国主義に進んでいきます
しかし何万と輸出された日本人女性達はどうなったのでしょう
いろんな大陸に彼女たちの子孫がいると思うと感慨深いものがあります
祖国に帰りたいという祖先の思いを無意識に感じて日本に来る人もいるのかな~
私は一昨日あたりにこのことを知りまして
トルコやモロッコなどのイスラム圏や、一昨年ポルトガルにも行ったし
去年はペルーでしょ?メキシコや韓国、ベトナムと
いろんな国を旅してきて・・・・・・
日々食べて寝てぼけ~~としている私という名もない一市民が
外国をいろいろ旅してきてよかったことはこれですよ!!と言えます
世界的目線、地球意識、宇宙目線が持てる・・・視野が広がること?
昔の人たちが想像を絶する苦難の果てにたどり着いた最先端に
私たちは今、立っているんですね!!
ポルトガルが日本を征服しようと思わなかったのは
農民や女性など民族の末端まで読み書きができるという驚異
(まあ・・・どうなんでしょ?地方の田舎だったらこうはいかなかった?)
日本人の民度の高さが、あなどれなかったかららしい
そう思うと私もぼさ~~と海外の町中を歩いているわけにはいかないのか?
いつもぼったくられておたおたしているわけにはいかないのか?
英語わからなくておどおどしている場合ではないのか?
遺跡に落とされたアメリカの爆弾も一緒に展示されています
それから爆弾で吹き飛ばされた大きな地面の穴とか・・・・・
ベトナム人として忘れてはいけない歴史的出来事と古代遺跡のコラボ
歴史という史実の前には時間が存在しないのですね
周りを取り囲む世界情勢には時間が存在するので
いつまでも過去のことを持ち出して関係を悪化させるよりも
より良き未来を目指して民度を上げ、国を発展させていくことが重要です
この間、私が行ったところを巡っているのをニュースで見て面白いです
宮廷舞踊鑑賞で2匹の獅子舞から、巧みに隠れていた子獅子が
転がり出て生まれるところが特に。
そんなところしか見ていない私・・・・・・・・・・
ベトナム旅行 シクロとごはん
ホイアンの観光が終わって、ティエンがシクロに乗るって言うんですよ
それで道端のおじさんに交渉 たぶんピンハネしてんだろーな・・・
そして観光してきた道を疾走
ちょうど雨がやんでいたが、座席はびっしょり一人乗り
人ごみを抜けるときはおじさんが口で「ぶぶぶぶーーーーー!!!!」とのたまう
めちゃ恥ずかしい光景なんですけれど。
そして10分くらいで、写真を撮る暇もなく終了
一体乗る意味があるのか?
まあ・・・そんな旅行を選んでしまったのは私たちですが・・・・。
ランチは2階にあがり貸し切り状態です
古い建物でトイレが3つも並んでいて、祭り会場の簡易トイレみたい
ベランダにたらい3つ・・・・これで手を洗うのか不明
ホイアン名物、いつものホワイトローズという米粉に乾燥玉ねぎ乗り
2人前なので2切れずつ食べるだけ
それから揚げワンタンに中華スープ味とろみ乗り 2人前
これもいつものうどんみたいなやつとパイナップルジュース
店員がひとり、ぷらぷらしながら食べ終わるのを待っています
はーい、いつものサトウキビの芯にすり身を巻いたやつ
これといって、おいしい!!っていうものはないです
はい、いつもの野菜炒め
他、メンマと豚肉炒め のりのスープ 魚
そして食べ終わるが、ティエンが30分以上たっても来ないわけですよ~~
いたたまれず、下に降りてティエンを探すがいない
さらに時間がたつ
そのうちまたどしゃぶりの雨になる
ティエンがやっと来たと思ったら車を呼ぶのにさらに時間がたつ
旅のしおりには、その場でクレームをとありますが
言ったところでどこの何が変わるというんですかね?
ティエンに言うよりも、大元の旅行業者に言って
奴を首にするか、ティエンのいる現地旅行会社と手を切らせるしかないね
ベトナム旅行 ホイアン 2
伝統舞踊を見に行くということで移動
すごいどしゃぶりになる
トイレに行ったり待っている間、お外でお買い物したいと思うが・・・
そのうち15人くらいの白人観光客が押し寄せてきました
ベテランのベトナム人ガイドが一番前の席にみんなをつかせて
「あなたたちのためにファーストクラスが空けられていましたよ~」
と白人優位心をくすぐるジョークをとばすと笑いの渦となる
そして配られたチケットの説明
英語がわからない私でも、めちゃわかる説明だよ!
さすがですね~~~ 後ろで携帯ゲームをしているティエンとは大違いだ
伝統舞踊は、昨日すばらしい舞踊をみたばかりなのであきました
チケットのくじも当たりませんでした
しかし当たるとちょーちんがもらえますが
この白人のように、舞台で踊ることになります
どしゃぶりだった雨があがり、海のシルクロード博物館へ向かいます
ところで傘を置いておくと、チャイニーズが勝手に持っていってしまうそう
友達がその現場を目撃しました
博物館は・・・・・・期待外れでした
出土した茶碗のちょろっとした欠片しかありません
ゆいいつの見どころは、平安朝な日本人街の古代絵ですかね
砂浜に簡素な平屋が数軒 無人島で助けをまってるような感じ
もうひとつの見どころは2階からの景色がいいこと
なんか素敵そうなお店でお買い物がしたいんですけれど。
今度は日本橋(来遠橋)に向かいます
日本橋は16世紀に日本人が建てました
日本の建築様式が用いれられており、結構広い橋で中央にお寺があります
ベトナムの人は中国の寺より、こっちのほうがお好みだそうです
外から見た日本橋
30分フリータイムとなり、急いでお買い物に向かいましたが
提灯を3個買っただけ。
天秤に3個くらい小さな提灯がついている飾りが欲しかったのですが
そこのお店の人がいなくて買えませんでした