六華 銀花 sakura舞う 2

旅行記 時々不思議なお話

ポルトガル......... sintra end

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スレイマン1世の若い時、キリスト教の最前線がロードス島

ここにはあの有名な聖ヨハネ騎士団が陣取っていました。

オスマン帝国は砂漠と海のシルクロードであるイスタンブールアレキサンドリア

手に入れていたので交易を拡大したいのですが

イスタンブールアレキサンドリアの間に要塞化されたロードス島があり

聖騎士団はあろうことか海賊稼業に精を出していたのです。

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そしてアレキサンドリアの先にはイスラム教の聖地、一生に1度巡礼をしたいメッカがあったので,スレイマン1世はロードス島攻略に乗り出し成功させます。

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イスラム法では攻撃の前には降伏を勧告しなければならず、原則として異教徒にイスラム教へ改宗を強制することは禁じられています。

異教徒の都市を占領した場合は3日間の略奪行為を認められていますが

捕虜や奴隷にした異教徒でイスラム教と同じ一神教であるキリスト教

ユダヤ教に対しては、税金さえ払えば信仰は保障されました。

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スレイマン1世はベオグラード攻略では、略奪行為を2日間に短縮し

殺人を禁止しました。

ロードス島攻略では戦いの目的を東地中海におけるオスマン帝国の船舶の

海上安全確保として聖ヨハネ騎士団礼砲を打って追放、送りだします。

世界戦略を考え力と寛容を示し周りの国に圧力をかける狙いもありました。

そんなわけで東地中海制海権オスマン帝国が手中に治めたので

ヨーロッパ諸国は膨大な関税を払わなければならなくなり、新しい航路の開拓に大西洋に乗り出します。

スペイン、ポルトガル台頭の大航海時代の幕開けとなったのでした~~

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そして停滞していたヨーロッパは活性化し、オスマン帝国を弱体化させていくことになります。

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そして42年後、スレイマン1世70歳の時ロードス島を追われて放浪していた

聖ヨハネ騎士団が与えられたマルタ島で因縁の戦いが始まりました。

リベンジに燃え騎士総団長になっていたヴァレッタシチリア提督の応援もあり

オスマン軍を撤退させます。

スレイマン1世はその翌年に亡くなってしまいました。

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そんなわけでこのころのイスラム教キリスト教よりも異教徒に対する弾圧が少なく

寛容な宗教であったのでした。

国土拡大、植民地政策の建前はキリスト教の布教活動で、奴隷に対して改宗を強制し、日本の出雲大社伊勢神宮みたいな聖地をぶち壊して、教会をその上に建てたり、

異教徒を人間とみなさず遊びで狩ったり虐殺したり

罪は全てキリストが背負って死んでくれたから、自分達は何しても罪にはならないとか天国行きが保証されているとか、自国の民も魔女狩り等と称してぶち殺したり

気に入らない者は弾圧したり

神の名においていろいろやらかしてくれたけれど、最近はやっと戦争の建前が自由のためになったね・・・・

イスラム国の戦略にはまって国通しいがみあったり利権先行しないで

故郷を追われた数百万人のシリアの人々が故郷を取り戻し平和に暮らせるために

信仰の自由のために、痛みと憎しみが蔓延させず愛と寛容のために、戦おう。

それこそが聖戦。